kotoe's notebook

カテゴリ:いとしい友達( 5 )


70/ 素敵な言葉ありがとう~シンガポールのリンブンセイさん

2006/08/04(金)

・海外ふるさと寮の日々

リンさんの”存在”を知ったのは、寮に入ってから1ガ月後でした。
陽気な各国寮生の中に、彼は顕に控えめ、静かで。 メガネかけ
の素顔、書気と智気が溢れ。寮の出入り、学校の行き帰り、
いつも一人で神出鬼没。 その上、毎週末定例の寮生の親睦
パーティーに、一度も出たことがない人です。

彼の目立所は、優秀な成績です。学校の毎月の定例試験、
成績順位はいつもトップ(1~3番だけが掲示)。 留学生の代表
として、大学側へ出て、いろんな行動をしてます。彼の行き先は
寮、寮の自習室、語学教室、大学の図書館、4ヶ所だけ(当時の
うわさにより)。

彼とのコミュニケーションの記憶はない。 彼とすれ違い時、”挨拶
の言葉”しか覚えがない、会ったら、いつも 「こんにちは。こんばんは。
今日は暑いですね。寒いですね。今日のテストは難しいですね。
今日のご飯はおいしいですね(寮の給食のこと)。・・・」、このくらい
の言葉を繰り返し、あと、忘れた・・。 あまり喋り過ぎると、彼に
「無水準」と思われたくないから・・

寮を離れる前、寮生達がお互いにメモリーノートを交換しました。 
私はりんさんとの交際がなくても、これからいつか再会も分からず、
別々の国から同じ大学に出会うことが、縁と思って、リンさんにメモリ
ーノートを渡したです。 数日後、返却されたノートに、下のメッセージ
を書いてくれた・・

「やさしさと美しさは女の人になくてはならぬもの・・」、私にとっては
最大の誉め言葉です。 過分誉めと分りながらも、ニ年近くのすれ違い、
いつも無口で、冷たい目(自分の感じ)にさらされ、寮の優等生からの
別れ言葉、とても心外で感激しました。

”やさしさと美しさ”~この言葉は、その後は自分の生き方に、
大きく影響します。 いくつになっても、どんなことがあっても、
挫けず強く美しく生きたい、と自分の信念になりました。
25年後の今でも、この言葉は忘れません。
ありがとう~ブンセイさん

・リンさんはその後、京都大学へ進学、現在は国の大学の教職に。















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by k_ogane | 2006-08-04 21:10 | いとしい友達

46/ 阿爸的風吹

2006/04/29(土/祭)

「阿爸的風吹」(親父の凧)は台湾現役異色医師、鄭智仁氏が
作曲した数多くの郷土歌謡曲、その中の一曲です。 

2000年オーストラリアで行われた夏季オリンピック大会の音楽祭、
台湾の代表、少年少女混声合唱団が演唱した曲。 
今日、その歌詞を日本語でご紹介します。

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・阿爸的風吹    鄭智仁/詞曲

阮阿爸 教阮來做風吹
伊講你敢知 咱人生親像風吹 焉耳飛。

飛呀飛 風愈大愈高 有時會飛入濛霧中 
飛呀飛 風愈大愈高 有時乎風來騙不知

阮阿爸 率阮去放風吹 
伊講有一工 你若會親像風吹焉耳飛

飛呀飛呀 愈飛愈高 看到的物就愈未清
飛呀飛呀 愈飛愈高 不當忘記線的起頭彼雙手

風吹呀飛 風吹呀飛 飛過阮細漢一直有的夢
風吹呀飛 風吹呀飛 飛過阮懵懂的夢

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・親父の凧     日本語訳

親父が、凧作りを教えてくれた、
親父が言った、人生は凧揚げに似てる

飛べよ飛べよ 風が強く吹けばもっと高く飛べ 
いつか大霧の中に飛び入り
飛べよ飛べよ 風が強く吹けばもっと高く飛べ 
いつか風に騙されても知らず

親父に連れられ、凧揚げをしに行った
親父が言った いつか お前も凧のよう高く遠くへ飛んでゆく

飛べよ飛べよ 高く飛べば飛ぶほど 見える物が見えなくなり
飛べよ飛べよ 高く飛べば飛ぶほど 繋ぐ糸を握る両手を忘れるな

風に乗せて飛べよ 風に乗せて飛べよ 
いつか少年の夢を飛び過ぎてゆく
風に乗せて飛べよ 風に乗せて飛べよ 
いつか混沌の夢を飛び過ぎてゆく

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・鄭智仁氏について

昔の友人でした。
その時彼はまだ医大生でした。
日本へ来た後、連絡は途切れてしまい。 先日芦屋市の友人から、
「望春風」という歌謡について、いろいろ聞かされました。 1933年の曲
ですが、自分も知らない典故が多い、サイトでいろいろ検索するうちに、
驚き・・、彼の名前がたくさん出てきました、
プロフィール、作詞、作曲、経緯、・・など。

彼が作曲した数多くの郷土歌謡曲は、今の台湾社会に大ブレイク中、
完全違い分野で
大きな花が咲かせた。 作品中の「福爾摩莎頌」(台湾讃歌)、
「阿爸的風吹」(親父の凧)、「天總是攏會光」(空はまた晴れる)、
「天頂的星」(夜空の星屑)、などの曲は、
国の教育部が小、中学校の音楽教材に指定された。
   
一方、本業は”生殖医学”専門、著書「男性不孕症」、「臨床体外受精・
胚胎移植」、など。 1989年「osmagic優生精子分離器」開発、論文は
1991年のアメリカ”Archives of Andrology”誌に掲載、医学各界に
評価され、不孕男性患者に朗報。 その後、台湾第一「精子銀行」創設。

驚きながら、彼に関するサイトを一つ一つ読んでいくうちに、昔のこと
を思い浮かべ・・ 日本にいる一旧友として、これから陰で応援します。
いつまでもお元気で、ますますご発展を・・、心から永遠に祈ります。
















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by k_ogane | 2006-04-29 00:13 | いとしい友達

36/ 今度一緒に踊りましょう~タイのウィチャイさん  

2006/03/19(日)

・海外ふるさと寮の日々・・

古いメモリー帳に挟んでいる一枚の色褪せた手紙、日本語課程を修了後、
別れ際、タイのウィチャイさんが渡してくれた一枚のレター・・・

「・・あたなはもう忘れたかもしれない。 その日私は新入生としてこの寮に
はいった。 そしてゆう方パーティーがあった。 寮の前である一人の女の人
がすわりながら、おいしそうにりんごをたべている。 はじめてあったので、
あいさつをした。 そして、”いっしょにおどりをしましょう” とさそったが、
”いいえ、こんどほうがいいです。 今、まだ、親しくないからです。” と、
あたながこたえた。

初級の時、同じクラスで勉強した。 いつもあなたをいたずらしたり、いろいろ
を言ったり、めいわくしたりした。 どうかおこらないでください。 じつはあなた
が好きだからです。”

別れの際、ウィチャイさんから頂いた重みのある手紙、一瞬、胸に熱い
ものが込みあげ、というのは、・・ずっと知らなかった。

そう思い出した・・
いつも、優しい微笑み・・
いつも、辛くて美味しいタイの手料理を頂いた・・
いつも、タイの音楽テープを貸してくれた・・
いつも、授業後、学校から寮への帰る道、色々タイの楽しい話をして
くれた・・一緒に撮ったスナップ写真、自分の似顔絵を描いてくれた・・

気がつくのは遅くてごめんなさい、たくさんの優しさ、ありがとう。
もし、もう一回お会いに出来たら、今度、私から誘います「一緒に踊りま
せんか・・?」















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by k_ogane | 2006-03-19 08:00 | いとしい友達

26/ あの歌声が忘れない~フィリピンのマリリンさん  

2006/02/03(金)

・海外ふるさと寮の日々

マリリンさんのルームは309号室です、ちょっど私の部屋の真下に
あります、彼女との最初の出会いは彼女の”歌声”でした。

10数か国からの留学生が同居する寮生活には、100名くらい
の寮生が全員は親交があるとは言えない、多くの寮生達とは
すれ違い時、挨拶だけの程度でした。月一回の寮のパーティーで
(ダンスパーティー)、やっとお互いに交流、親睦時間が出来。

4階にいる私は、授業のない日には、いつも階下からギター伴奏
の美しい歌声が聞こえてきたんです、最初はマリリンさんの歌声を
知らなかった。磁性で優美な歌声は流暢な英語で歌い、メロディーは
ほとんどアメリカの70年代のポップソングでした。私の知ってる曲も
多いので、どこか気持ちが代唱されたような気がする、知らずに彼女
の歌声のとりこになってしまいました。

そんな忍び聴きの日々がしばらくあってから、彼女の歌声を正式に
聞く機会が来た、大学の学園祭でした。留学生達が国ごとに、それ
ぞれ一つプログラムを出すことです。

キャンパスのオープンステージで、マリリンさんがギターを弾きながら、
3曲を熱唱しました。甜蜜な歌声が秋の青空に響び廻旋し、全員の
大きな拍手を浴びた、とっても胸に残るステージでした。

寮を離れる前、私はマリリンさんに一本のカセットテープを渡し、
記念として、是非歌声を残したいという気持ちを打ち明け、マリリンさんが
快諾してくれました。

録音してくれたカセットテープは、ナレーションを混じって、英語と日本語
の曲が25曲入ってました。どんのくらい時間をかけたか、想像せずとも
分かります。私の青春の一ページも一緒に入っているような、重い思い
カセットテープでした。

書いてくれた手紙は、「いつの日か歌手になるのが夢」という言葉は
心に強く残り。
「マリリンさんなら、きっと、その夢を叶えます。」と交換手紙に自分がこう書いた。
あれから20数年、今はきっとフィリピンのどこかで、シンガーとして活躍する
と信じています。

「mood luck, mood health, mood bless you. I hope you'll
remain as sweet as you are. and don't forget to remember
me forever as I do the same. Love Marilyn」

スイートレター、きらめき日々をありがとう、いつか絶対会いにいきます、
フィリピンへ。















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by k_ogane | 2006-02-03 01:24 | いとしい友達

22/ 会いたい~タイのマイさん   

2006/01/06(金)

海外ふるさと寮の日々

人生には、様々な時期に出会った様々な友達、一緒にいた期間が例え短く
ても、何年後、それを想い出すと、あの時のあの人が記憶ノートにとっても
大切な友達だと気がつきました。

日本に来てから、大学の日本語科に一年半在籍していた。その時、大学の
寮に入りました。 「海外ふるさと寮」とういう4階建物ですが、入居生徒は
ほとんどこの大学に通っている海外留学生です。

入寮の日に、寮長から”409部屋”の鍵をもらって、「ルームメートはタイの
マイさん・・」と教えられ、私はコミュニケーションを心配しながら、部屋に入りました。
二人で一室の6畳部屋、マイさんは私より一日早い部屋に入居したんです。

部屋に入って、目に入ったのは澄んだ瞳に真っ白歯での麦膚色な女の子、
フレンドリーな笑顔で、両手を合掌し、私に”サ・ウァ・ディー”(こんにちは?)と
甘い声で挨拶したんです。 日本で初めての友達(日本人ではなく・・)、タイの
マイさんとの最初の出会いでした。

その後、マイさんとはすっかり親友になり。 一年半の日本語勉強日々、
異国での留学生活中に、楽しい時、寂しい時、つらい時、ホームシック時、
いつも二人で支え合う。 お互いに母国語しか話せず、日本語もまだ覚えて
ない時期、毎日紙に字か、絵かを書き、身振り、手足振りのコミュニケーション
生活は半年間も続いていた。

いくつ日の寮生活の中に・・

夜中まで恋いの話を打ち明けてくれた日々。 夜遊びで帰寮時間が
遅くて、門限で寮が閉まって、二人で牆を攀り上げて、窓から入室の
日々。 冬の夜中に屋台のラーメンを食べたくて、一緒に窓から飛び降りて、
冬の街角へ屋台のラーメンを探し、食べに行く日々。 休日に一緒に
「あやめ池遊園地」へ、りんくでアイススケートを楽しんでいた日々。
一生懸命勉強しても、教室でいつも大塚先生に「日本語の発音はおとるなぁ~」
と言われまぐる日々。 珠粒星屑ような日々、たくさんありました。

一年半の課程を終え、それぞれの進む大学が違うので、別れの時が来た。
書いてくれた手紙と写真、今でも私のかけ替えのない宝です。

色褪せの紙に、”remember, I love you always.”の字を見て、
遠い日々が目に浮ぶ、会いたいです~dear my friend。















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by k_ogane | 2006-01-06 06:00 | いとしい友達